イシャーニはイフリットの守護者の影に隠れて賑やかな市場を通り抜けた。
「こういうの好きじゃないわ。その……こういうことを、開けた場所でやるのって、危険だもの」
彼女は胸の近くで巻物ケースを握りしめていたが、既にそれは革紐で彼女の体にしっかりと括り付けられ、更に魔法 で封印されていた。
シャドカディルが火山の噴火めいた笑いを立てた。
「俺が同伴してるのに不安なのかい、ちっちゃなイシー。俺は6世代に渡って君の家族をあらゆる害から守ってきたん じゃないかい?」
人々がシャドカディルを大きく避けるので、群衆の列は彼らにとっては、さほど混んでいるわけではなかった。あらゆる種類のジーニーがここ、ニスワンでは一般的であったが、シャドカディルは孤高のマリードでも、慈悲深いジンで もなかった。イフリットは炎と怒りからなるもので、高熱と悪意を放っていた。シャドカディルは子ども時代からずっ と彼女の人生にいたが、イシャーニはまだ時々、彼の燃える目や尖った角、そして物知りげなにやにや笑いに心を乱されることがある。
だが、彼女は彼に恐れを見せることは決してしない。
「もう子どもじゃないわ」
彼女は短く返した。
「私は自分の面倒くらい見られる。なんたって私が学んでいるのは――」
「ああ、ああ、完全なる学び舎だとも」
イフリットがあくびをすると、その口から煙が立ち上る。
「俺達はみんな、そりゃあ感動したさ。君はきっと、揺らがぬ炎の寺院に入れば、俺の燃えるような本能を鎮めて、時が来ても君の子どもを俺に食べさせないことが出来ると思ったんだろうね」
「私が選んだことは、あなたとは全然関係ないわ。オカルトの哲学研究の方が腕っ節の強さより面白いから選んだの」
「少なくとも子どもを生むまでは俺に命令出来るってのに、どうして武術のことを心配するんだ?」
イシャーニの祖先は何世紀も前に、前の主の長子に、彼の莫大な力の直接的な支配を受け継いでいくことによって、 自分達に仕えるようにシャドカディルを束縛した……だが、その束縛には欠点があった。シャドカディルは7世代目の 誕生と共に自由になるのである。彼は、イシャーニが子どもを持ったらすぐに、奉仕させられた時間について、イシャ ーニの家族全体に報復をすることを隠しもしていなかった。
そのため、イシャーニは子どもを作らないことを決心した。もし彼女が子どもを作らずに死亡したなら、彼もまた自 由になるが、彼女は若かったし、その問題に取り組む時間があった。もし彼女の遺産が子どもという形を取らないのな ら、彼女は他の方法で世界に自分の痕跡を残す必要があった。彼女の家族の邸深くの忘れられた倉庫にある偽の壁の後 ろで見つかったこの巻物は、その大きな機会だった。
「気をつけてね、シャド。襲撃や泥棒よりも、誰かが立ち聞きしている方が心配なの。巻物を検証するために来てくれる人を見つければ良かったわ」
彼らが会おうといている学者は実際、屋敷に来ると申し出ていた……彼のスケジュールが空く、6週間後に。
「便利な方がいいなんて一言も言わなかったじゃないか、イシー。君は最良で、かつ、秘密を守る者を望んだ。いつものように、俺は文字通り、君の指示に従ったのだぜ」
そして一行も行間を読まずにね、と彼女は思った。
「最良の相手がアヴィスタン人? いまだに信じられないわ」
「異邦人の視点が明晰だということもあるのさ。例えば、人間である君には、ジャルメレイは素晴らしい島で、ニスワンな壮麗な街だろうさ。君にはその黄金の寺院、優美なパゴダ、香り高い路地、輝く宮殿、魔法と金属に作られた橋と塔、いずれ滅びるこういった無数の栄光が素晴らしいと感じるんだろう」
彼は大きく身振りをして、あたりの人間を追い払った。
「ところで俺は、センチメンタルに目が眩んでない俺は、もっと珍しい次元界からやってきた俺はだね、この場所の本当の姿を見ているのさ」
「つまり?」
シャドカディルは鼻を鳴らした。
「薪だね」
彼らは色彩豊かな布に覆われた、本の詰まった店にたどり着いた。そこは、本屋、巻物屋、書道屋でいっぱいの通りで最も大きな店だった。イシャーニよりも青白く、よく手入れのされた口ひげとあごひげの生えた大人しそうな男が彼らに近付いた。
「あなたが私に会いたいというお嬢さんですね。それから、あなたのお供ですね」
彼は敬意を込めてイフリットに頷いた。
「何のご用でしょうか?」
「あなたが賢者ゾティコス?」
とイシャーニは言った。
「そのようにおだてる者もおります」
彼女は周囲を見渡し、それから近くへと身を寄せた。
「私はアークロードの戴冠以来、ジャルメレイの古物屋にあなた以上の専門家はいないと聞いたの」
「それならば確かにそうです」
「アークロード時代のものだと書かれている巻物があるのよ。それが本物かどうか判断したいの」
ゾティコスは頷いた。
「この世界には偽物の宝の地図と偽造が溢れていますからね」
「それを判断するのが――」
ゾティコスが喉元の宝石に触れると、市場の騒音が消えた。音を排除し、聞き耳を妨害する何らかの呪文であった。
「これで完璧なプライバシーが守られますよ」
イシャーニは巻物ケースを開け、慎重に中に入っていた書類を取り出すと、繊細な紙を広げた。
ゾティコスは近くへと身を寄せて、書類を流し見するとイシャーニの顔を覗き込んだ。
「これはアークロードの錫杖として知られる伝説のアーティファクトの隠し場所について、島から逃亡する前に当時の騎士団のリーダーが書いたものだということですね」
「おお。そいつは読み書きが出来るらしいねえ」
とシャドカディルが言った。
「何が書いてあるかは知ってるんだ。そいつは本物なのかい?」
「むむ。多分、違うでしょう。錫杖が最近、アンドーランの愚か者によって発見されたという噂もありますが、それもまた真実ではないでしょうね。手に取っても?」
イシャーニは巻物を手渡した。ゾティコスは指の間に書類を挟み、それを目に近づけ、臭いを嗅ぐことすらした。彼女はゾティコスがインクを味見するのではないかと思った。その代わりに彼はポケットから丸いめがねを取り出すと、それを通じて凝視した。一瞬後、彼は巻物を返した。
「内容が本当かどうかは分かりませんが、正しい時代の書類のようですね。インクの品質、色あせ方、紙の素材――全てが、ジャルメレイをアークロードが支配していた末期のものと一致しています。たとえ正しかったとしても、錫杖は疑いようもなく、略奪されるか動かされるかしてなくなって――」
「そういったたぐいの助言はいらないねえ」
イフリットが手を開くと、テーブルに金貨が落ちた。
ゾティコスはそれらを拾い上げたが、シッと音を立ててそれを手から落とし、イフリットに向かって笑顔を浮かべた。
「ちょっとばかり温かくてですね」
イシャーニはイフリットを睨み付けてから言った。
「助けをどうもありがとう、ゾティコス。あなたの判断、信じていいのよね?」
「もちろんです」
「もしそうでないなら、そうさせるまでだな」
とシャドカディルが唸ると、男は心配そうな顔をしてみせた。
2人がプライバシーの泡から歩み出ると、市場の音が戻ってきた。彼らは数分間、歩いた。イシャーニは次の動きを考えて沈黙したまま考えにふけっていたが、そこでイフリットが再び口を開いた。
「君に仕えるというからには、俺はあの男が実はアヴィスタンの学者ゾティコじゃあなくて、詐欺師だってことを教えなきゃならないな。幻影をまとったラクシャーサだったんじゃないかと思うね」
イシャーニは立ち止まって振り返りたかったが、可能な限り自然に歩き続けた。
「どうやって分かったの?」
イフリットは笑った。
「俺は何年か前、君の母上のおつかいでゾティコスに会ったことがあるのさ。あいつは母上の望む本を渡すのを最初、嫌がっていてね。それで俺があいつを説得して、覚えておけるように手首に小さな目印を残したのさ。俺の指の形をした痕をね。ゾティコスが何らかの理由で俺を忘れていたとしたって、あいつの肉が俺達の出会いを思い出すだろうが、あいつの皮膚には傷が無かった。巻物を寄越す時に袖がめくれて気付いたんじゃなけりゃあ、もっと早くに君に警告していたんだがな」
「ラクシャーサ」と彼女は口の中で呟いた。
「なら、私達は彼の鑑定をあてに出来ないわね。この手紙は偽物なのかも」
「もしくは、本物で、デヴィル生まれの誰かが君の探求を知っているのさ。多分、その悪魔が俺達と会うためにゾティコスを取り替えたってことすらある。俺達は結局、この会合を2日前に手配したところなんだからな。巻物に興味津々の面白い連中が計画を練るには十分な時間があったのさ」
「誰がどうやってこの巻物を知ってるっていうの?」
シャドカディルは肩をすくめた。
「裏切った召使い、スパイ、魔法の調査……君のご両親は手強い問題に手を出すことで有名だからなあ。君の屋敷が見張られていたって俺は驚かないぜ。大事なのは、だ。俺達はもうこっそり動けば安全だというわけじゃないってことさ。君の偉業を追求するには、危険と立ち向かうことになるだろう」
シャドカディルの笑顔は火事場の炎のようだった。
イシャーニは嫌そうな顔をした。
「そんなに嬉しそうにすることないのよ」
「ああ、だけど嬉しいねえ。俺は全力をもって君の命と幸福を守ると誓っている……だが、もし十分に強力な敵が君の前に現れて、俺が全力を尽くしても十分じゃなかったら。その場合、君は死ぬかもしれない。そうしたら、俺は自由になって君のご家族を食べるのさ」
彼は満足そうにため息をついた。
イシャーニは以前にもこの類のことを彼から聞いていた……だが、それについて今までは一度も心配したことはなかった。
「イフリットって、食事する必要なんてこれっぽっちもないくせに」
と彼女は不平をもらした。
「私の親戚を放っておいて」
シャドカディルが肩をそびやかす。
「その過程を楽しめるとは思っちゃいないが、約束は約束だからね。さあ、外に出て君の運命を掴もうじゃないか、イシー?」
Tim Pratt Contributing Author
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