「ご主人……」
賑やかな市場通りの騒音の中、少年が通行人の貴族に声をかけながら近付いた。
「お時間よろしいでしょうか、ご主人! 神の岩をお探しですか? 飛び込むための勇気がいりませんか? 試練を通過した者の祝福は?」
貴族は彼を無視したが、若き商人は諦めなかった。このローブの人物の衣類と歩みの確からしさから、明らかに彼は相手が金持ちだと踏んだのである。
「エイローデン様の死を知った時に、アイオーメディ様その人がこぼした涙を持ってるんですよ!」
少年は群衆の中を突き進み、貴族について周り、小さな小瓶を振った。
その中身は疑いようもなく、ただの水である。
「ご主人??」
貴族は男を気に掛けることなく、まるで熱心な売り手の懇願に気付いていないかのような振りをして、群衆の中を歩んでいった。
希望通り Avenue of the Hopeful沿いではずっと、同じ騒ぎが続いていた。
誰もが商品として神聖な遺物を持っていた。輝ける十字軍でアイオーメディが身につけていたらしきケープだとか。人間であった頃のカイデン=カイリーエンが投げた酒場のダーツだとか。あるいは、ノルゴーバー自身が身に着けていたと言われる血の錆がついたダガーだとか。
それらは当然ながら全て偽物である。だが、この通りを毎日、星石の聖堂 Starstone Cathedralをひと目見るため、歩いていく訪問者達はそのようなことを知らない。もしくは、進んで気付かない振りをしている。
商人達ですらも自分達の主張が真実であると信じていて、詐欺行為が、見当違いの善意によって詐欺とは言えなくなることもある。彼らの間では、こういった商品を質に入れている詐欺師は聖堂こそが自分達の詐欺の相方であると主張している。どんなに明らかに遺物が偽物であったとしても、まさにその存在が、取引の提案に謎めいた雰囲気と神聖な権威を与えてくれるのである。
どうしたって、そうせずにはいられない。聖堂はそういった建物だった。
そびえたつ古代の神殿の中、不可解なほど深い穴の中央に吊るされているのは、数千年前、語られることのないアースフォールの大破壊のさなかに天から落ちてきた岩の塊なのである。聖堂に立ち向かい、全ての巧妙な試練を通り抜け、恐るべき守護者を打ち倒し、生き残って星石に触れた者はこの聖堂を出る時、神になっている。
この数百年の間、エイローデンが神聖なる遺物を守るために聖堂を建築してからというもの、多くの者が挑んできたが、成功したのはたったの3人であった。驚くべきことではないが、ここはアブサロムの最も観光客の多い観光地である――世界の中心にある、この都市のまさに中核である。
「たった銀貨2枚だよ!」
貴族は今や、必死になって涙を浮かべている商人から遠く離れたところにおり、その最後の叫びは都市の雑踏に紛れて消えた。あの子どもは新人であった。もし、すぐに彼が、組になって商品を売りさばくために組織的な偽造屋と詐欺師の輪に堕落しなかったのなら、疑うことなく、彼はその他の大勢と同じように、敏い顧客からすらスリを行って、昇神の小庭Ascendant Courtで人生を終えるだろう。「神の市場」で働いた経験のある者なら、この男に時間を無駄にすることはない。顧客にするにしても、獲物にするにしても。
ロード・シンアールは、ほんの6ヶ月前にこの都市にやってきた。そして、それ以来、彼は毎朝、星石の聖堂を見つめるために毎朝、通りを歩いているのである。
最初、神聖な商品や守りの護符を売り歩いている子ども達が彼に群がったが、時間がたつと、彼らは邪魔をしないようになった。ロード・シンアールは彼らの商品のどれにも、ほんの銅貨1枚分すら払わなかった。彼は一度も、商品を調べることすらしなかった。
彼はただ、希望通りの終端部で、星石の聖堂から神になる希望を抱いて訪れる者達に注意を向けた――冒険者達、扇動家達、そして自ら神になろうとする野心的(あるいは無鉄砲)な、熱狂的な信者達がいた。その価値を証明しようとして、ほとんどの者が「神の市場」の、どこか無人の汚い部屋で準備をして、ライバルから奪うことの出来た、ほんの数人の聴衆を改宗させるのであった。特定の人物に伝えるべきメッセージを説教する者もいる。その見掛け倒しの壮麗さで群衆を魅了し、大衆の中から本物の信者を得られるほどにカリスマのある者もいる。
いつでも、5,6人、あるいはそれ以上の神になりたがる者が通りに並んでいて、新しい信仰を説教したり、金と引き換えに享楽を提供したり、旅のための準備として儀式を行っていたりする。
アブサロムでの最初の一週間、ロード・シンアールは通りを歩く時にその1人1人のところで立ち止まって、神になりたがる者の、すぐに信仰になるという説示を聞き、そしてストイックに歩みを再開した。この得体の知れない貴族は、もはやそのような神への志望者の前でぐずぐずとすることはないが、彼は通り過ぎる時に彼らの長広舌に注意深く耳を傾け、有望な者が群衆の興味を惹くような技を見せた時には、気取った微笑みを浮かべることもあった。
今日、ロード・シンアールはケレッシュ人の大商人がゴリナースに黄金の鞘の取引を持ちかけるのを見た。ゴリナースは常に木製の骸骨の仮面を被って、二度目のチャンスを与える神として死から蘇ったと主張している不格好な人物で、神になりたがっていた。二度目のチャンスというのは、決して実現しないであろう奇跡という、世間知らずな発言であった。
通りの数ヤード先では、道化師リニが陽気さの神になりたいと願っていて、この厳格そうな貴族に一方的な挨拶のウィンクをして、大道芸を披露しに戻っていった。この貴族は、道化師が実際には決して星石の試練を試みようとしたことはなかったのではないかと疑っている。彼は単に自分個人を崇拝する信者を集めたいだけなのだろう。
軽快な発音をしているハーフオークの女性が、ロード・シンアールに、ヴェルベットの基台に置かれている指輪、ペンダント、ブレスレット20個ほどを見せた。
「お帰りなさいませ。今日、試練を受けるんですか?」
貴族はたじろがなかった。商人の方向へと再び視線を向けることなく、彼はゆったりとした聖堂への散歩をつづけた。
「私は新しいものを仕入れましたよ。空を歩かせて差し上げます」
彼女の腕は、狩人の弓から解き放たれた矢のごとく、通りの終端部へ向かってぴんと伸びた。
「ふぅ――穴の上にまっすぐに!」
この「常連」への日々の売り込みが、この6ヶ月と同じように今日も失敗に終わると悟った彼女は、シンアールの左にいる、ムワンギ風の服装をした目の大きなノームへとすかさず、注意を向けた。
「あなたはどうかしら?」
シンアールはこの女の宝飾品は魔法のものですらないのではないかと疑っていた。それらは星石の聖堂を周辺としから隔離している緩衝地帯を越える者を助けるには、あまりに無力である。彼は確信しているが、愚か者の中には、この指輪を身に着けて深淵に頭から飛び込みながら、落下中にこの商人を呪った者もいるだろう。
彼の黒い目は考えにふけりながら、瞬いた。
もしそのようなものがあるなら、死者の聖堂のために、もう1つの社が必要そうだ。
最後に、溝の端へとたどりついて、ロード・シンアールは一瞬、立ち止まり、古代の寺院を見た。
彼はこの崖の間際でためらっている唯一の人間だというわけではなかった。そして、彼は日々の儀式を行っている間に、独自の日課を行っている他の常連に気付いていた。
彼らのほとんどは、1ヶ月あるいは2ヶ月以上続けることはなく、神になるという希望を諦めるか、神になろうとして死亡している。
ロード・シンアールは集中できないわけでも、失敗するわけでもない;彼はただ1度の時を待っている。正しい時期にしか、飛び込まないだけなのである。
ローブをまとった貴族は左へと曲がり、深い割れ目の淵を歩き回った。それは、彼が毎日、たどる道筋であった。
彼の歩みには目的意識と平静さが醸成されていく。ロード・シンアールの考えは、穴を囲んでいる大広場を飾る寺院へと向けられる。
アイオーメディとカイデン=カイリーエン。
ほんの数ヤード先で神となった4人の内の2人は、ここにモニュメントがある。それは、彼らの成功の記念碑として信者に建てられたものなのである。
それぞれの寺院と星石の聖堂の間の深い割れ目には、橋がかかっている。これは、彼らを神にした星石への、この神々の繋がりを示しているのである。
神となったノルゴーバー。彼はエイローデンに続いて2番目に神となったのだが、秘密主義なので、その寺院は公然とした場所にはない。ロード・シンアールのように星石の聖堂について学んだ者なら、特にどこかを指し示しているようには見えない3番目の橋の通りから、ノルゴーバーの寺院がどちらにあるのかを推測出来る。
ロード・シンアールは毎日、壮大なる大地の割れ目にかかった4番目の橋、廃墟となったその橋の前で昇神の法廷をぐるりと歩き回るのを終える。これは、この都市の偉大なるエイローデン神殿をかつて指し示していた、失われた橋梁である。エイローデンは、海の深みから星石と共にコルトス島全体を引き上げ、そうすることによって、自ら神となった。
橋だけでなく、エイローデンその人すらも失われてしまったが、寺院はなおもそこにあり、今はシェリアックスの大使館となっている。
スルーン家の地獄の記章が付け加えられているにも関わらず、ロード・シンアールにはなおも、かつてその大門の上に刻まれていたエイローデンの目のシンボルが分かる。古い汚れと苔が、それを浮かび上がらせていたのである。
この貴族はここで日々の散歩を終え、自分自身の死すべき運命に思いを馳せた。
ロード・シンアールは自分の白髪と目のしわが示す威厳と経験を歓迎していたが、莫大な財産によって得られるお世辞のせいで、星石の試練を通過しなければ自分もまた死ぬのだという都合の悪い真実から簡単に目をそらしてしまう人物であった。
人類の神であるエイローデンは死んだかもしれないが、自分はそうはならない。彼は自らに言い聞かせた。
彼の視線は別の目的で使われているエイローデンの寺院から、都市の心臓部にそびえたつ聖堂へと向けられた。
この位置からは、自分を神と分け隔てている裂け目を見ることは出来なかった。そして、賑やかな大都市の光景や喧騒は遠い。
疑うことを知らない獲物を取るよう訓練されたフクロウような集中力で、彼は星石の聖堂とその中にある力にのみ、意識を集中した。
そして、今までの毎日と同じように、彼は1つの言葉を発した。静かに、自分自身へと。
そうやって、振り返ると豪華な大邸宅や日々の贅沢へと戻っていったのである。
「もうすぐだ」
Jason Bulmahn
Director of Game Design
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